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拓哉ディスタ

2017年07月24日(Mon)
【公式にされた別れの物語】
公式にされた別れの物語


その流行は最初から論争の的だった



Hugo Cerezo


ハメスはベルナベウにコロンビアの旗を、ハメスはスペインのスーパーカップでデビューしていきなりゴールを、ハメスはチームのためにポゼッションに貢献、チリ戦のハメス、ハメスのスレッド…。ハメスの地位はユベントス戦の内容次第で変えられたかもしれない。
そしてハメスはベニテスと対立、バルデベバスでは警察に追われた。ハメスはトレーニングで順位もろともベンチに格下げ。ハメスは横浜から移籍するぞと脅し、ハメスはカーディフでスタンド観戦に終始した。

ブーム初年度から立て続けに期待外れに終わった後、残念ながらブラジルW杯で示したクラックとしての旺盛さは消失していた。14/15から彼はレベルを維持できなかった。それなのに背番号10は彼の信頼を回復しないままただミュンヘンへと去っていった。どちらかといえば恩師と呼べるアンチェロッティとの関係を、彼は優先したかった。


'スタジアムではさようならが歌われ、彼はすでにベルナベウに別れを告げていた'

コロンビアの凋落は、実際はイタリア人監督の退団から始まっていた。前任はハメスのような特定の選手たちの扱いに非常に慣れた監督。ベニテスはそういった厳しい状況下で就任した。初日のオーストラリアから大物たちのクレーム対応に追われていた。そこで最初の衝突が起きた。監督はコパアメリカの前に招集をかけたが、10は即答でno。リーガ初戦のスポルティングとの試合で彼はベンチだった。そしてコロンビア人と共に試合を終えた後に彼の怪我が発覚した。たしかにベニテスに選択権はなかったが、ラファがレギュラーから外し彼をベンチと決めていたクラシコで、チームは0-4と惨敗した。翌年2016年1月に入り、彼はバルデベバスに遅刻、さらに警察に車で追われながら出勤してきた。最悪のエピソードと共に暮らす日々。あまりにも哀れ、レアルマドリーの選手として悲惨な光景。ベニテスは最後に指揮したメスタージャで、ついに彼を招集外とした。

そして次にジダンが就任。ハメスはやっと呼吸できた。視界が開けたかのように思われた。しかし、フランス人はトレーニングをサボる人間を信用しなかった。新監督は予想してなかったが、ハメスこそそういうタイプなのだということが判明した。慢心、牙のないポジションであったためこれまで24歳の選手は居座れたのだ。彼はファンを味方につけ、試合に対するモチベーションの低下が原因だと煙に巻こうとした。

しかし、ファンや評論家、さらにはジダン自身までもが悟った、ベニテスが正しかったのだと。10が現れ、現れては消えることが続いたため、いくつかはコロンビア人に課されるべきなのだ。彼はマドリーで重要な試合をことごとく欠場した。ウンデシマを外から観るまでバルセロナ戦の勝利やヴォルフスブルクの起死回生、シティとの1stレグ(2ndレグは23分間プレー)を経て、最終的にサンシーロへ。


'ジダンに対する彼のメッセージ「私はここで幸せです。だから足が悪くなるまで私はここでプレーします」'

彼の退団はすでに去年の夏に歌い上げられていた。なぜなら、ハメスは自分が出ていくことを確信していたから。彼はジダンに啖呵を切り正々堂々と挑んだが、一晩で心変わりした。そして監督の説得に応じた。クラブは彼に期待している。サッカー選手として、彼の最高のバージョンの回帰が望まれた。これはメディアの興味が尽きることがなかったからに他ならない。彼にはたいそうな利権があったようだ。それらの肖像権やユニフォームの販売などで得られる収入は思いのほか少なかったことだろう。


'ハメスは日本で爆発した'

それでも彼は自分の信念を曲げるのにあまり時間をかけなかった。死力を尽くした熾烈なレギュラー争いに敗れたことを認め、日本で決勝をプレーできない屈辱を味わった後、彼はついに爆弾を投下した。チームの勝利を汚すことを承知で、彼は移籍するぞと脅した。終焉の幕引き、ハメスはこれでシーズンを締めくくるつもりだった。

コロンビア人は不本意ではあるものの、命令通りBチーム行きを受け入れることにした。ゴールやアシストを追加し、やれることを全部やってリーガタイトルに貢献した。クラックとしての立場を失いチャンピオンズリーグという重要な試合で起用されない現実を知りながら。ミュンヘンでは7分。次の2ndレグや準決勝アトレティコ戦、そして決勝含め0分。ハメスはジダンから完全に阻害された。彼が着る服はいずれも短期施策。スタジアムを出る彼の映像がすべてを物語っていた。


‘カーディフでのハメスの孤独’

'彼はスタジアムを出て一人でバスに乗り込んだ'

彼は月曜日に医学的な承認を受けるため出席しなければいけなかった。メチャス(ツンツンヘア)にサングラス、そして無関心な態度。すべてが順調に進めばロサンゼルス行きの飛行機に乗らなくていいことを彼は知っていた。レアルマドリーとのストーリーは最終段階へ。保留された別れのメッセージ(表向きはレンタル移籍でドアを開けておいた)。このように、公式にされた別れの物語は終結を迎えた。




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大敗したミラン戦もチャンスには絡んでましたし、移籍初ゴールはもうじき見れるでしょう。彼のゴール嗅覚を失うのはめちゃくちゃ痛いです。
ベルナベウでのセレブレーション。
悔しかったろうに、他の家族たち同様に笑顔で過ごしてました。空気を察したようなご機嫌ななめな娘を抱っこしたまま…。これまで味わったことないであろう屈辱の苦味を噛み締めながら歩いてるように見えました。

代表戦でコロンビアに帰れば監督や佐藤がじろうみたいな英雄や国民みんなしてマドリーに対する愚痴の嵐。そんな記事見るたび もー限界だー たのむー出てってくれー …と、何度呟いたことか。でも、彼が自分を殺し家族に捧げたラスト数試合は、人としてマドリディスタとして幸せを感じることができました。力はあり余ってる。ばいやんでお幸せに







21:39
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